ボスニア紛争のころは、まだティーンで
海外にもいったこともなく
世界史は教科書でしか触れたことがなく
要はまったくの世間知らずだったわけですが

大人になって
ほぼ同年代のボスニア出身の友人と出会い
「あのころは弾丸の音が日常茶飯事で、友達も殺されていった。
道には血の筋が流れていて、人の内臓がゴミみたいに落ちてきた」

と淡々と語られると
紛争に対しての知識が深くないことに罪悪感を覚えずにいられないです。

そして自分の境遇がいかに平和だったかを振り返えらずには
いられないのですが、

そこで、

「彼女に比べて私はいかに恵まれていたか」

と考えるのはとてつもない傲慢ではないかと。

「可哀相。」とは口が裂けても言えない。

小さいころに戒めに言われた
「○○の人に比べたら恵まれているんだから」
という言葉。

意図することは分かるけど
優越感が底に隠れてる様で嫌いな言葉だ。

で、戦争を体験せずに育った私が最低限すべきことは
「知る」こと、なんだと思う。

以上、もっとマシに表現したいけど出来ない文才の無さ。

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