<差別>
差別はよくない。
これはきっと建前。
でも建前でもいい。
繰り返しているうちに刷り込みで
皆自然にそう思うようになるかもしれないから。
と、思います。
だから、刷り込まれるまで建前でもよいから
差別反対を唱えるのだ。 で、いつの日か
自分が人種差別してることに気がついて愕然とする。
と思ったのは、友達に
「中国人に間違われるとむかつくでしょ?」と聞かれたのがきっかけ。
別に中国人や韓国人に間違われても嫌な気分はしません。
訂正するのは、単に私は中国人や韓国人じゃないから。
彼女は白人。かわいくて少しコドモっぽいところがある彼女は
「わたしは人種差別者じゃないけど、もし自分から黒人の子が
生まれたらきっと自殺しちゃうわ」と無邪気に言っちゃう人だ。
差別しないってのはすごく難しい。
たとえば、目の前に○○人のグループがいて
彼らがすごく不愉快で自分に迷惑が及ぶようだったら
「○○人、むかつくー。」「「○○人なんか消えればいい」
と思うようになるに違いない。これは立派な差別的発言。
国別、人種別の特徴ってあるものだと思うし
それが自分にとって受け入れられないものなら
特定の国籍や人種について一般的な意識をもつのは
自然な流れだとも思う。
だけど、差別をしてはならない。
少なくとも公の場で差別ととられる発言はしてはいけない。
それに
差別とは蔑視を伴う先入観。(←私の定義)
嫉妬したり、優越感を感じることに
喜びを見出すような人間にはなりたくないものだ。
特にわたくしの場合、
自信のなさ故に、他人の劣っている所を見つけて
この点で勝ってるから大丈夫、と情けない発破をかけるきらい
があるのでね。
::::::
で、ヒエラルキー。
人間平等じゃないんだから、絶対ヒエラルキーが生まれます。
東欧からイギリスに出稼ぎにきている人はたいへん多く、
学歴と語学が弱い人たちに人気の仕事は、家政婦。
ただし、当然キャリアには結びつきません。
住み込みでお手伝いさんをしている知り合いが、コネで空港の
仕事を斡旋してもらえることになったらしいのだが、不服そう。
彼女は英語が弱いので、最初は掃除婦から始めて英語の伸びと
努力次第でカウンター業務につけるかもしれないという、
良いチャンスだと思うのだが、彼女は掃除婦が嫌だという。
「空港の掃除婦なんてボトムジョブよ。」と鼻にシワを寄せて
嫌がるのだが、
私にとっては
他人の家で住み込みでトイレ掃除や洗濯をするのも
空港で掃除するのも、同じこと。
人間、どんなグループでも順序をつけたがるのだなぁと
興味深く思った翌日、会社でタイミングぴったりのメールを
受け取った。
私は石油関係のエンジニアだが、最低でも大学の学位が必要で、
平均は修士卒、博士も少なくない職業。
要はホワイトカラー。 職業欄にはエンジニアと記入します。
ところが昨今では、修理工や配管工(要はブルーカラー)も
エンジニアを名乗るそうです。
で、私のうけとったメールの趣旨は
「収入も社会的地位も違う彼らが、われわれと同じ職業を
名乗るのはおかしい。彼らがエンジニアと名乗らないよう署名しよう。」というもの。
ここでもヒエラルキー。
でも社会的信用(ローンの申し込時などに超重要)が下がるのは
困るので、最近は職業欄には単にエンジニアとは書かないように
しています。
ちなみにイギリスではそれなりにステイタスな私の職業も
国が変わればブルーカラーなみの扱いを受けたりもする。
:::::::::
よく働き、よく遊べ
高給取りのコンサルタントの友人はいつも仕事に追われている。
私の場合、給料はすごく高いわけではないが、普通に生きていくには
十分だし、自由になる時間もかなりある。
このまま辛い思いをしなくても、平和に生きていけそうな気がする環境にいると思う。
そこで、問題。
このまま落ち着いてもいいのでしょうか?
まだ若いけど、10代や20代前半のころのように、可能性満載で
将来なんか見えない状態ではなくなった。
勉強だってしてるけど、"必死に勉強"の状態からは程遠い。
このままでいいのか? いいのか? いいのか?
限界まで努力してない後ろめたさもあるんでしょう。
限界まで努力ってすごく難しい。
たいてい、本当の限界よりもだいぶ手前で妥協しちゃうから。
差別はよくない。
これはきっと建前。
でも建前でもいい。
繰り返しているうちに刷り込みで
皆自然にそう思うようになるかもしれないから。
と、思います。
だから、刷り込まれるまで建前でもよいから
差別反対を唱えるのだ。 で、いつの日か
自分が人種差別してることに気がついて愕然とする。
と思ったのは、友達に
「中国人に間違われるとむかつくでしょ?」と聞かれたのがきっかけ。
別に中国人や韓国人に間違われても嫌な気分はしません。
訂正するのは、単に私は中国人や韓国人じゃないから。
彼女は白人。かわいくて少しコドモっぽいところがある彼女は
「わたしは人種差別者じゃないけど、もし自分から黒人の子が
生まれたらきっと自殺しちゃうわ」と無邪気に言っちゃう人だ。
差別しないってのはすごく難しい。
たとえば、目の前に○○人のグループがいて
彼らがすごく不愉快で自分に迷惑が及ぶようだったら
「○○人、むかつくー。」「「○○人なんか消えればいい」
と思うようになるに違いない。これは立派な差別的発言。
国別、人種別の特徴ってあるものだと思うし
それが自分にとって受け入れられないものなら
特定の国籍や人種について一般的な意識をもつのは
自然な流れだとも思う。
だけど、差別をしてはならない。
少なくとも公の場で差別ととられる発言はしてはいけない。
それに
差別とは蔑視を伴う先入観。(←私の定義)
嫉妬したり、優越感を感じることに
喜びを見出すような人間にはなりたくないものだ。
特にわたくしの場合、
自信のなさ故に、他人の劣っている所を見つけて
この点で勝ってるから大丈夫、と情けない発破をかけるきらい
があるのでね。
::::::
で、ヒエラルキー。
人間平等じゃないんだから、絶対ヒエラルキーが生まれます。
東欧からイギリスに出稼ぎにきている人はたいへん多く、
学歴と語学が弱い人たちに人気の仕事は、家政婦。
ただし、当然キャリアには結びつきません。
住み込みでお手伝いさんをしている知り合いが、コネで空港の
仕事を斡旋してもらえることになったらしいのだが、不服そう。
彼女は英語が弱いので、最初は掃除婦から始めて英語の伸びと
努力次第でカウンター業務につけるかもしれないという、
良いチャンスだと思うのだが、彼女は掃除婦が嫌だという。
「空港の掃除婦なんてボトムジョブよ。」と鼻にシワを寄せて
嫌がるのだが、
私にとっては
他人の家で住み込みでトイレ掃除や洗濯をするのも
空港で掃除するのも、同じこと。
人間、どんなグループでも順序をつけたがるのだなぁと
興味深く思った翌日、会社でタイミングぴったりのメールを
受け取った。
私は石油関係のエンジニアだが、最低でも大学の学位が必要で、
平均は修士卒、博士も少なくない職業。
要はホワイトカラー。 職業欄にはエンジニアと記入します。
ところが昨今では、修理工や配管工(要はブルーカラー)も
エンジニアを名乗るそうです。
で、私のうけとったメールの趣旨は
「収入も社会的地位も違う彼らが、われわれと同じ職業を
名乗るのはおかしい。彼らがエンジニアと名乗らないよう署名しよう。」というもの。
ここでもヒエラルキー。
でも社会的信用(ローンの申し込時などに超重要)が下がるのは
困るので、最近は職業欄には単にエンジニアとは書かないように
しています。
ちなみにイギリスではそれなりにステイタスな私の職業も
国が変わればブルーカラーなみの扱いを受けたりもする。
:::::::::
よく働き、よく遊べ
高給取りのコンサルタントの友人はいつも仕事に追われている。
私の場合、給料はすごく高いわけではないが、普通に生きていくには
十分だし、自由になる時間もかなりある。
このまま辛い思いをしなくても、平和に生きていけそうな気がする環境にいると思う。
そこで、問題。
このまま落ち着いてもいいのでしょうか?
まだ若いけど、10代や20代前半のころのように、可能性満載で
将来なんか見えない状態ではなくなった。
勉強だってしてるけど、"必死に勉強"の状態からは程遠い。
このままでいいのか? いいのか? いいのか?
限界まで努力してない後ろめたさもあるんでしょう。
限界まで努力ってすごく難しい。
たいてい、本当の限界よりもだいぶ手前で妥協しちゃうから。
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